頑張ってみる
『横道世之介』より、倉持と阿久津との間に子供ができて大学を辞めることになり、ふたりが一緒に住むための新居への引越しを終え、これから新たな生活を始めようとするシーンで倉持が世之介に
「頑張ってみるよ」
と言うセリフが印象深かった。
"頑張る"というのはどちらかというと、力試しであったり期待であったり次のステップへ踏み出す勇気を表現した言葉かなと思う。
対して、"頑張ってみる"というのは期待や自信といったポジティブな感情だけでなく、期待通りにいかないかもしれない不安や心配といったネガティブな感情も加味されて、それらも全て踏まえて、それでもやらないといけない、やってやるんだという気持ちから生まれてくる言葉なのかなと思う。
端的(極端)に言うと、頑張るよは主観的表現、頑張ってみるよは客観的表現みたいな感じ。
状況によってもちろんニュアンスや伝わり方は異なってくるけど、ただこれらはどちらも「覚悟」のある言葉であるという前提の話だ。
覚悟のない"頑張(ってみ)る" は、明日からダイエットする〜♪とか今年は並みに言葉に重みがなく信用もできない。
覚悟のある"頑張(ってみ)る" は心の奥底までズシンと重みが伝わってきて素敵だなと感じた。
覚悟の有無を判断するのは、その人との距離が近しければ近しいほど容易に分かることだろう。
思わず言ってしまう言葉
今日、来春から入社する会社から電話があった。
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僕「はい、○○です。」
会社「はい、こちら□□(会社名)です。」
僕「あ、お世話になっております。」
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みたいな感じで、いつも
「あぁ、お世話になってますってなんだよ、世話になるのはこれからなのに...」
って思ってしまうのに、ついつい口癖(?)で出てしまう。
これが正解なんかわからんけど正しくて綺麗な言葉遣いは社会に出る前には身に付けたい。
他にも最近、自身の発する返答で気になっているのが、何か聞かれたら
「大丈夫です」
と答えてしまうこと。
例えば、美容院で
スタッフ「お湯加減はいかがですか?」
僕「あ、大丈夫です。」
とか、スーパーで
店員「レジ袋はいかがですか?」
僕「大丈夫です」
みたいな感じ。
"大丈夫です"ってなんか、本当は〜〜〜って思ってるけど許容範囲内だから許そうみたいな上からの感じがするし、答えとしてYesかNoか分からんから、自分で言っておきながら毎回申し訳なさでいっぱいになる(まぁいっぱいにはならないけど笑)。
「ありがとうございます。」とか「お願いします。」とかYes、No、動詞できちんと答えるとかそういう受け答えをしたいね。
もう口癖だからしょうがないけど、意識して直していかないとな。
日本語って難しい...
休日謳歌
日記という形で書きたいけど"ブログ"となってしまうと、どうしても講評とか何かしらに対する意見を長文で書かないといけないという気分になってしまうな笑
昨日今日は今やってる短期バイト(芸術祭のイベントスタッフ)6連勤後の久しぶりの休日だったので漫画(3月のライオン、ボーイズ・オン・ザ・ラン、ソラニン)や録画してた番組を見たりして謳歌した
漫画はただ面白いとか感動するとかだけじゃなく、何気ない一言や名言があるからすごく面白い(特に上の漫画作家の羽海野チカ、花沢健吾、浅野いにおは絵のタッチが似てて好き)
あと今日は寿司を食べてきた
もちろん100円回転寿司笑
久しぶりの海鮮というのもあったけど、普通にそこらへんの普通の寿司屋より100円回転寿司の方が美味しいと思う時点で庶民なんだなというのを再認識
明日からまたバイト再開するからもう寝よう、おやすみ
うわーこれクソつまんない日記だな笑
凧
『リリイ・シュシュのすべて』という観ているだけで賢者タイムに突入しそうな重い映画がまぁ本当に素晴らしかった。
最初は何が何なのか情報の整理が追いつかず少しばかり戸惑ったが、観ていくにつれてどんどん引き込まれた。
いじめや援交、レイプ、自殺、家庭環境など、大人になるにつれて他人事として軽く流されるような問題をあえて直視する内容となっているためか、どこか生と死を身近で間近に感じてしまっていた中学時代へタイムスリップした気分になり再び逃げ場を失ってしまう感覚に陥った。
最初観ながら、現実世界と仮想世界(この作品の場合、音楽「リリイ・シュシュ」)のギャップにもがき苦しむ作品なのかなと予想していたが、それも踏まえてこの作品で伝えたかったことは、終盤の津田(蒼井優)が凧揚げするシーンにあったのではないかと勝手ながら自分なりに結論づけた。
イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルが残した数多くの名言の中に
"Kites rise highest against the wind, not with it."
(凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。)
という言葉がある。
まさにこの作品の内容や趣旨がこの言葉に集約されるのではないか。
変わりたいのに変われない葛藤、大人や将来に何も期待できなくなってしまう失望、どうでもよくなってしまう自暴自棄、そういったどちらかといえばネガティブな感情を抱きやすい中学時代を作品の中で浮き彫りにし、そんな周囲(風)に流されがちだった生活から脱却し、周囲だけでなく自分とも向き合う勇気こそが、より高く上がるためのコツなんだよと言い聞かされているように解釈した。
この作品を通じて、自分自身が中学時代に観ても何も感じなかった、というより感じ取れなかった部分を大人になって改めて見つめ直すことでそんな時期もあったなぁと振り返ることができた。
言霊
久しぶりに『世界の中心で、愛を叫ぶ』を観たいなと思い、TSUTAYAで借りてきた。
最初に観たのが小学校高学年くらいで、確かそのとき観た記憶(感想)が「言霊ってあるんだな」だった気がする。
それまで他人に対して冗談のつもりながらも「死ね」「ガイジ」といった、まぁ偏差値の低そうな悪口を並べていたんだけど、この作品内で、朔太郎のついた"他人(亜紀)を傷つける嘘"が結果的に"事実(白血病)"になる、という因果関係も根拠もない言いがかりに妙な説得力を感じ、「言霊ってあるかもしれないから他人を傷つける悪口を言うのは控えよう」と自分の発言を意識し始めるきっかけになった当時を思い出した。
全体的に最近の恋愛映画よりも普通に完成度の高い作品だなと改めて感じた。