頑張ってみる

横道世之介』より、倉持と阿久津との間に子供ができて大学を辞めることになり、ふたりが一緒に住むための新居への引越しを終え、これから新たな生活を始めようとするシーンで倉持が世之介に

「頑張ってみるよ」

と言うセリフが印象深かった。

"頑張る"というのはどちらかというと、力試しであったり期待であったり次のステップへ踏み出す勇気を表現した言葉かなと思う。

対して、"頑張ってみる"というのは期待や自信といったポジティブな感情だけでなく、期待通りにいかないかもしれない不安や心配といったネガティブな感情も加味されて、それらも全て踏まえて、それでもやらないといけない、やってやるんだという気持ちから生まれてくる言葉なのかなと思う。

端的(極端)に言うと、頑張るよは主観的表現、頑張ってみるよは客観的表現みたいな感じ。

状況によってもちろんニュアンスや伝わり方は異なってくるけど、ただこれらはどちらも「覚悟」のある言葉であるという前提の話だ。

覚悟のない"頑張(ってみ)る" は、明日からダイエットする〜♪とか今年は並みに言葉に重みがなく信用もできない。

覚悟のある"頑張(ってみ)る" は心の奥底までズシンと重みが伝わってきて素敵だなと感じた。

覚悟の有無を判断するのは、その人との距離が近しければ近しいほど容易に分かることだろう。